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山中湖畔の歴史とロマンを訪ねて
文化碑・文化財
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三浦環と寿徳寺
 大正から昭和の初めにかけてオペラ歌手と
して世界に名をはせた「蝶々夫人」のプリマド
ンナ、三浦環。山中湖畔での発声練習は、さ
ながら銀の鈴をころがすようだったと村人は
いいます。墓碑には「うたひめは、つよき愛国
心を持たざれば 真の芸術家とはなり得まじ」
と刻まれています。
三浦環墓碑
 三浦環の墓地のある寿徳寺。山中湖畔唯一のお寺で海雲山寿徳
寺といい、臨済宗妙心寺派の禅寺。起源は鎌倉時代の高僧、美山玄
誉禅師によって開かれ戦国時代、永禄4年(1561)武田家の祈願寺
として厚く加護されました。禅寺特有の静かなたたずまいです。



徳富蘇峰と旭日丘命名碑
 徳富蘇峰は昭和7年に山中湖畔に「双宣荘」
という山荘を建て、そこで「近世日本国民史」
を執筆しました。そして大正年間から別荘地と
して有名だったこの地を、「旭日丘」と名づけた
のです。蘇峰の碑にはその功績がたたえられ
ています。



旭日丘命名碑
高浜虚子老柳荘
 「ホトトギス雑詠選集」を編むために毎年夏
に山中湖に訪れていた虚子。自然に地元の
俳人たちとの交流が生まれました。宮下伝奇
や柏木白雨ら地元の俳人たちがつくっていた
新蕎麦会が中心になり、昭和19年、虚子は自
らそばを打ち、桑の葉の天ぷらをおいしそうに
食べたそうです。
高浜虚子句碑
 句碑には、「選集を 選みしよりの山の秋」の句が記されています。


富士山に魅せられた富安風生
 高浜虚子亡きあとのホトトギス派の最高峰と
なる風生は、地元の俳人たちの指導にあたり
ながら富士山の句を500以上も詠んでいます。
寿徳寺内の句碑には「赤富士に露 滂沱たる
 四辺かな」の句があり、山中諏訪神社には「
女とは 母と八 安産まつりかな」の句碑など
あちこちに7ヶ所残っています。



富安風生句碑
口留番所史跡
 甲斐、相模、駿河・・・現在の山梨、神奈川、
静岡の三県の国境として、塩入れ道の出入り
を取り締まっていた番所の名残。江戸時代に
は関所として、代々関守が世襲されていました。
この関門の敷石や沓石などが今でも平野口留
番所跡・山中口留番所跡の2ヶ所に残り当時を
偲ばせてくれます。



山中口留番所跡
梵鐘(寿徳寺所蔵)・三界萬霊塔(寿徳寺)
 鎌倉建長寺の美山玄誉が開山した寺。この梵
鐘は、江戸時代に近隣六村の人々が武州江戸
住人田中丹波守藤原重正という鋳物師に作ら
せたものです。
 宝暦3年(1753)三界萬霊塔を建立する際に
記したもので、白隠禅師自筆による貴重な塔。
あらゆる生物の霊が成仏するよう願って建立さ
れたものです。



梵鐘 三界萬霊塔
その他の見どころ
 「長池天神社」は、学問の祭神として有名。昔
この地に立ち寄ったという藤原光親卿を祭った
神社。
「平野天満宮」は、スサノオノミコトと藤原道真
を祭っていて、ここで行われる500年以上の伝
統を持つ「天岩戸神楽」は有名。年3回、天満宮
例大祭のおり行われます。
 他に「浅間神社」の境内も味わいがあります。
浅間神社


山中湖 文化碑・文化財マップ


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